日光の隠れ里、小来川

小来川(おころがわ)は、栃木県日光市の南東部に位置し、県西部を流れる黒川の現流域にある四方を山に囲まれた静かな里山です。この地域は昔から六つの集落によって構成されており、かつては小来川村として一つの自治体でありました。昭和29年に旧日光町と合併し日光市となり、 平成の大合併により日光市、今市市、藤原町、足尾町、栗山村が合併し、今の日光市を構成しています。

小来川の歴史は古く、約4000年前の遺跡が出土しており、有史以前から人が住んでいたとされています。この地方が歴史上に現れるのは、奈良時代に日光開山の祖として知られる勝道上人が、小来川を代表する山である鶏鳴山に登って修行の日々を送ったとされている記録です。また、その後弘法大師も日光参詣の際に小来川を訪れ、数々の伝説を残しています。

このように長い歴史と文化を誇る小来川には、他にも黒川神社や円光寺といった神社や古刹、集落に春の訪れを告げる山中地区の桜並木や、西小来川・東小来川の獅子舞など、有形無形の文化財や自然美が残されており、訪れる人々の目を潤してくれます。小来川の風景は、まさに日本の原風景と言っても過言ではないでしょう。

日光観光のドライブルートとして、小来川に訪れてみてはいかがですか?ここには山あいの村独特の時間が静かに流れています。きっと日々の喧騒の中で忘れかけている安らぎや静寂を肌で感じ、どこか懐かしささえ感じることでしょう。

小来川と日光の関係

小来川は勝道上人が766年に日光を開山した後まもなく日光社領となって以来、現在に至るまでの間に日光と分離した時期が2度ありました。1度目は豊臣秀吉が小田原の北條氏を攻めた1590年のことです。小田原方に味方した日光社領は所領を削減され、小来川を分離させられました。この状態は1615年の江戸時代まで続きます。2度目は明治になってから小来川が隣接する板荷村(現在の鹿沼市板荷地区)と『板来村(いたこむら)』を形成し、その後に独立した小来川村となり、昭和29年に旧日光町と合併するまでの期間です。小来川と日光は実に1000年以上の歳月を共に歩んできたわけです。

このように小来川と日光は古くから社寺と信仰における繋がりが深く、滝ヶ原にある滝尾(たきのお)神社は日光の「二荒山滝尾神社」の分祀となっています。また建立当時は真言宗の寺であった小来川の古刹、円光寺も日光御神領の設定に伴い天台宗に改められました。

名前の由来

14世紀の南北朝時代の後半、南朝の忠臣と言われた藤原(万里小路)藤房卿は、鹿沼市北方の山ふところまで落ち延びます。そして今の小来川の森崎(黒川神社付近)まで来たとき、薬師堂の丘から眺めた景観を見て感銘を受け、次のような和歌を詠まれました。

湧き出でし 水上清き小来川 真砂も瑠璃の光をぞ添う

この「小来川」の文字が、地名として今日まで呼びならされています。

伝統行事や地域行事

古くから人が住み村や市への変遷が行われてきた歴史ある小来川では、古くから続く五穀豊穣や無病息災などを祈念する伝統行事や、地域住民の交流の要となる文化祭等の地域行事が現在でもおこなわれています。

中でも、日光市内では比較的盛んな三匹獅子舞は、東小来川(関白流)、西小来川(文挟流)の2か所で行われています。その歴史は古く、小来川では約200年前ごろから獅子舞の奉納が行われてきましたが、後継者不足等の問題もあり、今ではその伝統を絶やさぬよう地域一丸となり次の世代へと受け継いでいます。

また、小中学校と合同で開催される『小来川文化祭』は、戦後から続く小来川の大切な地域行事として住民から愛され、年々回数を重ねています。

小来川の名産品

四方を山に囲まれた小来川ですが、その山の森林ほとんどが杉林であることに驚かされます。村おこしの一環として杉の植林を行った小来川は、かつては林業や木工の村として栄え、東京の木製電柱のおよそ三分の一が小来川産の杉材であったとまで言われていました。現在では、その名残から林業や木材加工に携わる方が多く、またログハウスビルドの学校があったことからログハウスの聖地とも呼ばれ、広く木材にゆかりがあることがわかります。

ウッズマンズ外観

また、小来川は蕎麦の生産が盛んにおこなわれています。小来川産のそば粉は味がよく香り高いのが特徴ですが、生産量が少なく他に流通していません。そのため小来川産のそば粉は非常に貴重とされ、毎年多方面から取り寄せの依頼があるほどです。小来川内にある蕎麦屋では、小来川産のそば粉を使ったお蕎麦をご賞味いただけます。小来川を散策がてら、是非一度足を運んでみてはいかがでしょうか。